七宝焼とは②
京七宝Note ‐ 記憶の糸をたぐる -
今回は七宝焼の起源について触れてみたいと思います。
七宝焼はガラスや金属の歴史と混合される部分もあり諸説ありますが、
一般的には人類で古く確認される七宝製品としては、
紀元前14世紀 古代エジプトのファラオ・ツタンカーメンのマスクに
七宝が施されていたことが良く知られています。
これは、1922年にハワードカーターというイギリスの考古学者によって発見されたそうです。
黄金マスクにブルーのラインのあのマスクです。
現在はエジプト考古学博物館にて所蔵されています。
地球上にはもともと天然の火山岩ガラス・石英ガラス等が存在していますが、
石英を主体とした鉱物を「珪石」といい、珪石はガラスや七宝の釉薬の
主な原料ともなっています。
石英の結晶 - 水晶
石英と同成分である水晶は、純粋な水晶に含まれる不純物によって、
ローズクオーツやアメジストのような色のついた水晶となるそうです。
紀元前25世紀頃のメソポタミア文明の都市国家が形成された時代には、
シュメール人が、ガラス製品や鉄、硝石などを製造しており、
金や銀、方鉛鉱、青銅なども人々の暮らしの中で利用されていた記録もあります。
そういったことから考えると、”ガラスによる金属への彩色装飾” は、
はるかその時代より、すでに始まっていたとしても不思議ではないと思います。
恐らく、そう考える研究者も少なくないのではないでしょうか。
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さてその後、七宝技術は世界のさまざまな国や地域で異なる文化や素材に触れ、
形を変えながらシルクロードを経て日本へ渡ってきました。
日本では古墳時代に鉄器への装飾として金や銀の象嵌がなされており、
古墳時代の装飾品からもガラス製の勾玉や象嵌製品などが多くみつかっています。
日本で見つかっている最古の七宝製品としては、
奈良県明日香村の「牽牛塚古墳」から出土した亀甲形座金具「六葉花文七宝金具」が
有名です。1953年には極めて重要な資料として国の重要文化財に指定されているようです。
この古墳は飛鳥時代(7世紀頃)の女帝 第37代斉明天皇の陵だと言われています。
六葉花文七宝金具 image
一方、奈良の正倉院宝物堂からは、奈良・白鳳時代(8世紀頃)のものと推定される
「黄金瑠璃瑙鈿背十二稜鏡」という七宝の宝飾鏡が確認されています。
この宝飾鏡については、これまでにさまざま研究が行われているようです。
黄金瑠璃瑙鈿背十二稜鏡 image
鏡は天皇家の三種の神器のひとつです。
現在までの研究者の調査ではこの辺りが日本で最も古いものだと言われています。
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さて、日本においての七宝が「七宝焼」と呼ばれる以前に「七宝瑠璃」と
呼ばれていた時代があったそうです。
当時「瑠璃」とは、ガラスや宝石などの ”宝“ を意味するものでもあり、
日本の歴史文学作品である ” 枕草子 ”や” 源氏物語 ”などにも ” 瑠璃の盃 や 瑠璃の壺 ″ など
雅な情景を表す小道具として描かれています。
”七珍万宝” として平家物語などにも登場しているようです。
源氏物語絵巻 by wayu okada
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七宝焼と呼ばれる所以。
七宝焼は「仏教」と深く結びついていると考えられています。
その教典に出てくる 七つの宝 「金・銀・瑠璃・玻璃・しゃこ・瑪瑙・真珠」
に勝るほどの美しい輝きをもつ 焼き物 という意味から、
日本では「七宝焼」と呼ばれるようになったそうです。
更に、古くから七宝という言葉は” 七宝繋ぎ” や ”七宝荘厳” など
縁起の良い言葉として仏教の中に存在しています。
七宝繋ぎ design
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このように、古墳からの出土品や、仏教との関わり、あるいはヨーロッパで
キリスト教の聖具として発展してきた歴史を振り返ってみると、
七宝焼が、人々の” 神聖なる世界 ”に深く結びつき、美しく厳かな装飾品として
はじまったということが見えてくるような気がしました。
cloisonne'とは、釉薬と釉薬の間を金属線で仕切り輪郭を作りだして表現する有線七宝のことをいいます。
ちなみに、七宝焼は、英語ではenamel(エナメル)
フランス語ではエマイユ('email)・クロワゾネ(cloisonne')
中国では琺瑯や景泰藍などとそれぞれの国によって呼び名は変わります。
wayuplus+saikei*