正倉院宝物の七宝焼

京七宝Noteー記憶の糸をたぐるー

七宝焼の歴史をたどる上で触れておきたい作品があります。
奈良東大寺にある正倉院所蔵の「黄金瑠璃鈿背十二稜鏡」という宝飾鏡です。

正倉院はご存知の通り、
東大寺の大仏を建立した聖武天皇光明皇后のゆかりの品が納めらた蔵  (宝庫)

f:id:wayuplus:20200502212611j:plain   正倉院

日本製やシルクロードを経て伝来した輸入品、大仏建立の際に利用したもの等
様々なものが収められており、所蔵品の数は約9000点にも及ぶそうです。

古墳から出土したものとは異なり、高床式の保存状況の良い蔵で保管されてきた正倉院
美術工芸品や史料は、あらゆる分野において当時を知る大変貴重な文化財となっており、
まさに宝の山といえます。

数ある正倉院宝物の中にはいくつかの宝飾鏡も見つかっており、
その中でも唯一の七宝製品が、この「黄金瑠璃鈿背十二稜鏡」です。

f:id:wayuplus:20200504083010j:plain   黄金瑠璃鈿背十二稜鏡 image

正倉院自体が明治以降、宮内庁の管理下に置かれていることもあってか、
この十二稜鏡についてはこれまでに様々な調査が行われています。

形状は、直径約19㎝・高さ約2㎝ほどの12の多角形の鏡で、全体は銀素地の胎となっており、 背面の装飾には、花びら大6枚・花びら中6枚・花びら小6枚・三角の金板12枚、
そして花の中心など合わせて33ものパーツが組み合わさった複雑な構造です。

これまでに、素材や技術を調査する上で伝統工芸に携わる名手による再現模造が
行われています。わかっている範囲でいえば、明治11年に七宝作家の平塚茂兵衛氏、
昭和3年には漆工芸家吉田包春氏、平成に入ってからは七宝作家の田中輝和氏など
名工と呼ばれる方々が国の要請によりその任務を遂行されています。

とりわけ、平成3年から始まり10年程の歳月をかけ再現模造に携わられた田中氏の報告書には、細部に至る箇所を丁寧に確認しながら気の遠くなるような検証作業の記録が記されています。

その内容を拝見しても、十二稜鏡が当時としても最先端のとても手の込んだ工夫がなされた逸品だったことがうかがえます。

f:id:wayuplus:20200420164435j:plain   黄金瑠璃鈿背十二稜鏡 image

当初より、この十二稜鏡はからの輸入品と考えられてきました。

しかし、その模造に携われた方の意見や専門家・研究者などの多面的な視点から、
近年では日本で作られたものではないかという説も浮上しています。

その理由のひとつとして、使用されている接着糊の存在があります。
複雑な33のパーツを強固な状態で接着されている糊が、日本に古くからある「
が使用されているということ、また東大寺大仏建造にも大量に使用されていたという「白笈」(はくきゅう・びゃっきゅう)という糊の存在。

白笈とは、紫蘭の球根から作られる糊だそうですが、現在でも七宝焼の材料としても用いられているものです。

どちらも強度面で優れており、古来から日本に存在していたものでもあったことから、
十二稜鏡が輸入品を参考に試行錯誤を重ね、日本で製作されたものではないかという説です。

もちろん、唐にも漆や白笈は存在していたようなので、糊の問題だけでは何とも言えないかもしれませんが、この鏡だけが他の宝飾鏡とは異なり「12多角形」だったこと、
花をモチーフにしたデザインが日本的であったということもまた、日本製説が有力視されるようになった要因とも考えられています。

また「12」というキーワードには、仏教の教えに「十二縁起(因縁)」等という考えがあります。また自然界の12のリズムを観念として取り入れたそれらの思想を聖武天皇が重視し、
十二稜鏡を作らせたのかもしれません。

ただ、正倉院が設けられた奈良時代とは一致しないのですが、昭和に入ってから
「イギリスの陶磁器研究者ハリー・ガーナー氏の見解によれば、正倉院が明治期に入るまでは宝物の出し入れが自由だったこともあり、この十二陵鏡はのちの平田道仁派の作ではないか?」との報告もあると七宝従事者の方が述べておられます。

しかし、平安時代以降、正倉院は厳重な保管が行われていたとの事が、宮内庁の説明にも記載されているので、これ以上の事は私にはわかりません。

 
f:id:wayuplus:20200503170100j:plain   東大寺 大仏

ちなみに、東大寺の大仏建立は、今回のコロナ感染症蔓延の事態に似た状況が
奈良時代にも起こったことが大きなきっかけとなりました。
世の中に猛威をふるった感染症天然痘)や地震など、度重なる災難に対して
人々の幸せや社会の復興を願い、仏教に救いの手を求めた聖武天皇の命によって
建てられたものだといいます。

大仏建立の仕上げの際には、大仏の瞳に墨を入れる(魂入)「開眼会」という儀式で使用された大きな筆も、日本最古の筆のひとつとして正倉院に大切に納められており、奈良筆として現在もその伝統が受け継がれています。

f:id:wayuplus:20200503124902j:plain  奈良筆 藤井孝哉 作
友人から頂いた奈良筆 奈良でご活躍されたお父上の遺品を頂いた大切なもの

ともあれ、正倉院に納められた多くの品々には、聖武天皇による世の中の平安の願い
仏教思想に対する思い・背景が見え隠れしているようにも思いました。

 

 wayuplus+saikei*